こんばんは、けんけんです。今回もまた自己紹介とはいかず、春も近いので桜の話でもしようかと。
皆さんは桜は好きですか? 日本人ならなんとなく特別な花として一目置いているひとが多いのではないでしょうか。世には早咲きの桜も遅咲きの桜もありますが、一般的に桜前線と言われ咲くのを日本中が心待ちにしているのはソメイヨシノです。
東京の開花予想は3月18日で、満開となるのは25日頃だと言われてます。となると来週末は各所花見客でいっぱいになりそうですね。
そんな現代人の心にも咲き続ける桜ですが、日本は古来から識字率が高かったことも影響して、桜の開花に関しては千年以上も遡れるのだとか。その時代では紙などにしたためる日記だったのでしょうが、こうして今もブログで桜について書いていると思うと少し不思議な気持ちになります。
そんな桜、今回はソメイヨシノについて少し話そうかなと。俺のことを知っているよってひとは少し小耳に挟んだこともあるでしょうが、俺の趣味の最たるものは読書です。そんな中で以前読んだ小説の中にソメイヨシノ(染井吉野)の短編があり、とても心に残っているので少し紹介しますね。

木内昇『茗荷谷の猫』 一、染井の桜。
江戸後期の話です。役人、武士の身分という一生続けるものだと思っていた仕事を主人公は辞め、植木や花の栽培、掛け合わせなどに傾倒していきます。
「景色を作りたい」
その一心で主人公はいくつかの桜の品種を掛け合わせ、変わり咲きの桜を造ります。花が一斉に咲いて散る。そして葉を伸ばす。原種の桜は葉と花が同時に存在するが、主人公が造ったのはそんな桜でした。
周囲はその『移ろうから、儚いから、美しい』桜の生き様に自身の人生を重ね合わせ、愛でていくこととなります。しかしそんな制作者の主人公は自分が造ったものだと風聴することもなく、造り方を訊かれれば誰にでも教えた。そんな姿をみた周りの植木職人たちは主人公に名前くらいつけたらどうだと言います。
そうして名付けられたのがソメイヨシノ。染井村、現在の駒込あたりで造られたから、染井吉野。
後世にまで語り継がれるであろう代物に、思い入れはないのか、そう問われた主人公の言葉は、
「確かに花は、名花だ駄花だと区別もされる。それでもな、花を見る者はなんにも書かれていねぇ生きた姿に惚れるんだ。そこにわざわざ俺の名を冠すようなことは、野暮じゃあないかと思ってね」
「それに、名を残すことに興味はないよ。いずれ俺ぁこの世の者ではなくなる。そうなった後まで、俺の在ったことを覚えて欲しいとは、思わないもの」
この話はもちろんフィクションであり現実とは関わりはありません。それでも、原種でもないソメイヨシノが日本中に広まったのはいったい何故なんでしょうね。
ちなみにこのあらすじは物語の明るいところだけを抜粋しています。強いて区別するのであれば悲話とも言えるでしょう。
この話を書こうと思ったのもベポちゃんがひとの多面性について触れていたのがきっかけでした。
ひとには色んな一面があり、ひとと関わることで自分を知り、カテゴライズできる。
俺は少し似たような思いも持っていて、例えば金銀財宝、絵画なども個であるゆえに変化するものではないですよね。
それって俺含めみんな、人間にも当てはまるのではないかと。三つ子の魂百までという諺がありますし、核となる部分はきっと変わらない気がします。
そして今回の桜も、咲き誇る姿も散りゆく姿も桜には変わりはありません。ただ、一緒に見るひとやその状況下で桜に対する思いも変化する。新たな出会いの標でもあれば別れの象徴でもある。
その価値を決めるのは、周囲の環境やひとによるのではないだろうか。
皆さんは、今年の桜を見るときはどんな気持ちで目にするでしょうか。楽しみにしてます。
ちなみに、近代のソメイヨシノはクローンによって全国に植えられたらしいですよ。
今回はこんなところで。またね✌️



